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ハイブリッド豊胸 (motiva 豊胸バッグ + 脂肪移植豊胸) 術後約半年
本日ご紹介の患者さんは 授乳でしぼんでしまった胸を短期間で大きく、自然にしたいとのご希望にてハイブリッド豊胸術(motiva 豊胸バッグ 340cc + 脂肪移植豊胸)をお受けになられた患者さんです。

上段:術前です
下段:(motiva 豊胸バッグ + 脂肪移植豊胸)術後約半年再診時です
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御感想は「大満足(6/6)」と順調な経過です。


またの御来院をお待ちしております。


先日お心遣いをいただきました。
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ありがとうございます。
どうか御気を遣わないでください。




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by shirayuribeauty | 2018-02-17 00:42 | 美容外科
脂肪移植豊胸術後約7年再診時 (一年に3回の脂肪移植を2クール お受けになられた患者さん) 2
今日は1974年 に小野田寛郎(おのだ ひろお)氏がフィリピン・ルバング島から30年ぶりに日本に帰還した日になります。

大東亜戦争終戦の1945年8月を過ぎても任務解除の命令が届かなかった為、部下(赤津一等兵:1949年投降、島田庄一伍長:1954年5月7日戦死、小塚金七上等兵:1972年10月19日戦死)と共に戦闘を継続しました。最後の2年間は一人で戦っていました。
小野田氏は持久戦法をたてて米軍に挑み、島内にあったアメリカ軍レーダー基地への襲撃や狙撃、撹乱攻撃を繰り返し、友軍来援に備えて合計百数十回もの戦闘を展開しました。
1974年に一連の捜索活動の結果発見され、3月9日にかつての上司である谷口義美元少佐から任務解除命令が下り、小野田氏にとっての戦争は終わりました。翌3月10日にかけ、小野田氏は谷口元少佐にフィリピンの最新レーダー基地等の報告を行っています。小野田氏はフィリピン軍基地に着くとフィリピン軍司令官に軍刀を渡し、降伏意思を示しました。この時、小野田氏は処刑される覚悟だったと言われています。

小野田氏は日本に帰国後は大きく変わった日本社会に馴染めず、帰国の半年後に次兄の居るブラジルに移住して小野田牧場を経営を開始しました。帰国後結婚した妻の町枝氏と共に移住し、10年を経て牧場経営を成功させました。その後、凶悪な少年犯罪が多発する現代日本社会に心を痛めたとして『祖国のため健全な日本人を育成したい』と、サバイバル塾小野田自然塾を主宰されていました。自らの密林での経験を元に逞しい日本人を育成するとして、講演会や野営等を行い、高齢ながらも日本とブラジルを往復し続けていらっしゃいましたが2014年1月16日鬼籍に入られました。

小野田氏は帰国後 見舞金と方々から寄せられた義援金の全てを、靖国神社に寄付された方でした。
約30年間のジャングルでの国防のための戦闘および帰国後日本のためになされた諸活動にたいし深く深く敬意を表します。



本日ご紹介の患者さんは脂肪移植豊胸術後約7年再診時 (一年に3回の脂肪移植を2クール お受けになられた患者さん)になる患者さんです。



術後7年経ても戻らず豊満な乳房でいらっしゃり 手術前との比較において定着がよく変化が非常によかった患者さんの一人です。

左: 術前です     右: 脂肪移植豊胸術後約7年再診時 (一年に3回の脂肪移植を2クール お受けになられました)
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脂肪移植だけでこれだけ乳房が豊かに変わられ長期間しこりなく結果が維持されていて良好です。
ただマンモグラフィーでは1mm以下ぐらいのサイズのカルシウムの沈着とみられる粒粒が散在しているのが指摘されたとのことでした。
それでも手術をお受けになられたことに後悔はないとことでした。


またの御来院をお待ちしております。



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by shirayuribeauty | 2018-02-12 00:12 | 美容外科
脂肪移植豊胸術後約7年再診時 (一年に3回の脂肪移植を2クール お受けになられた患者さん)
今日は1942年にフィリピンのコレヒドールに司令部を置いていたダグラス・マッカーサー将軍が日本軍の攻撃に耐え切れずオーストラリアへと逃れた日となります


本日ご紹介の患者さんは脂肪移植豊胸術後約7年再診時 (一年に3回の脂肪移植を2クール お受けになられた患者さん)になる患者さんです。



術後7年経ても戻らず豊満な乳房でいらっしゃり 手術前との比較において定着がよく変化が非常によかった患者さんの一人です。

上段: 術前です     
下段: 脂肪移植豊胸術後約7年再診時 (一年に3回の脂肪移植を2クール お受けになられました)
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脂肪移植だけでこれだけ乳房が豊かに変わられ長期間しこりなく結果が維持されていて良好です。
ただマンモグラフィーでは1mm以下ぐらいのサイズのカルシウムの沈着とみられる粒粒が散在しているのが指摘されたとのことでした。
それでも手術をお受けになられたことに後悔はないとことでした。





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by shirayuribeauty | 2018-02-11 00:05 | 美容外科
左下腿 脚延長  precice(プリサイス)  術後約7週間
今日は北方領土の日です。
安政元年12月21日(新暦に直すと1855年2月7日)に日露和親条約が結ばれ、北方領土が日本の領土として認められたことに由来しています。

Today is the commemorative day of Japanese "Northern Territories".
This stems from the historical fact of on February 7th 1855, when the The Treaty of Shimoda was singed.
The treaty was to build official relations between Japan and Russia and to draw their border between Etorofu and Uruppu in the Kurile Islands.
This meant the "Northern Territories" were acknowledged to belong to Japan.




本日ご紹介の患者さんは日本国内で始めてpreciceという脚延長の機械で手術をお受けになられた患者さんです。

プリサイス:preciceの長所は髄内釘であり創外固定器と異なり延長器具が体内に内蔵されるため外からはわからない、感染のリスクが低いこと そしてなによりも骨の出来が悪い時にいったん縮めることができることです
短所は費用が非常に高額なことです(両脚で1000万円を超えます)

同じ髄内釘による骨延長器具としてISKDがありますがISKDにはない「骨の出来具合が悪い場合に途中で短縮もできる(短縮すると骨ができやすくなる)」というメリットに非常に魅かれた勉強熱心な患者さんのたっての希望とちょうど本年米国に研修に行った際に業者さんとよく話し合うことができましたので米国より輸入して施術を行いました。

メーカーのNuVasive社の話ではいままで問い合わせてきた日本人Drはいたが実際に輸入して手術をしたのは私が初めてだそうです。
本邦初の手術ということでわざわざ米国からNuVasive社のスタッフさんがきて手術に立ち会ってくださいました。



左:術前です                  右:左下腿precice 術後約7週間再診時です
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現在左下腿延長中です。 現時点で左下腿は約3cm伸びています。  左下肢のO脚(いわゆる がに股)も治ってきました。

患者さんはお仕事もされつつ延長を頑張っていらっしゃいます。

5cm以上の延長を目指して頑張っていきましょう!

またの御来院をお待ちしております。

先日お心遣いを戴きました。
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ありがとうございます。 どうか御気を遣わないでください。


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by shirayuribeauty | 2018-02-07 23:52 | 整形外科
鼻尖縮小術、鼻尖部軟骨移植術 術後約半年後検診
本日 2月1日は1944年にマーシャル諸島クエゼリン環礁守備隊(ルオット島)が玉砕した日になります。

On February 1 ,1944 , the all members of Marshall Islands Kwajalein Atoll garrison (Luotto island) died an honorable death.

また今日は大東亜戦争終戦後3年目である1948年 に三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎の孫娘である 沢田美喜が大磯に混血児救済施設「エリザベス・サンダースホーム」を開設した日です。

70 years ago from today, on February 1st, Miki Sawada, the grand-daughter of the Mitsubishi zaibatsu founder Yataro Iwasaki, established the "Elisabeth Sunders Home" in Oiso Japan, a faculty to aid the children with "mixed blood".
It was 3 years after the end of The World War II.

The children with "mixed blood" children were exposed to discrimination at that time.

ホームは、戦後日本占領のためにやってきたアメリカ軍兵士を中心とした連合軍兵士と日本人女性の間に強姦や自由恋愛の結果生まれたものの、両親はおろか周囲からも見捨てられた混血孤児たちのための施設でした。

The children in the faculty were born to Japanese mothers. Their fathers were soldiers of The Allied Forces that occupied Japan.
Unfortunately, they were abandoned by not only society, but also their parents.

このエリザベス・サンダースホームからは2000人近くの混血孤児が育ちました。沢田美喜氏はホームの孤児達の教育のために1953年には学校法人聖ステパノ学園を創立し1962年にはブラジルのアマゾン川流域の開拓を始め、聖ステパノ農場を設立し孤児院の卒園生が数多く移住しました。

An estimated 2000 children grew up in this faculty.

Additionally, Miki Sawada established a educational corporation, "The St. Stepanos Academy" in 1953 and started pioneering Amazon river basin in Brazil.
Many children who grew up in the Elisabeth Sunders Home migrated to St. Stepanos Farm which she found and run in Brazil.

敗戦国における占領軍によるしわ寄せはどこの国でも占領兵士の子を妊娠した女性たちにのしかかってきます。悲惨な敗戦国の陰の部分を博愛精神によって支えた沢田美喜氏に敬意を表します。

In a defeated nation, women sometimes conceive children of soldiers from the occupating forces even though they do not intended pregnancy.
Women were often the prey in times of post-war chaos. I pay my respects to Miki Sawada for her benevolent effort.




本日ご紹介の患者さんは鼻先を細くしたい、高くしたいとのことで 鼻尖縮小術(クローズ法)、鼻尖部軟骨移植術をお受けになられ術後半年になる患者さんです。


上段:術前です
下段:術後約半年再診時です
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御感想は鼻尖縮小に関しては「元の鼻が太いのがいけないのですが、もう少し細くなりたいです。」とのことで「ふつう(3/5)」、 鼻尖部軟骨移植に関しては「形がキレイになりました。もう少しだけ細さが欲しい気もします。」とのことで「満足(4/5)」とことでした。


またの御来院をお待ちしております。


先日お心遣いをいただきました。
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ありがとうございます。 どうか御気を遣わないでください。





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by shirayuribeauty | 2018-02-01 00:05 | 美容外科