今日は2008年にアパグループ主催の第1回『「真の近現代史観」懸賞論文』にて最優秀賞を受賞した田母神(たもがみ)俊雄・航空幕僚長の「日本は侵略国家であったのか」が政府見解と異なることが問題となり浜田靖一防衛大臣が同航空幕僚長に更迭処分を下した日になります。
以下に更迭処分原因となった田母神(たもがみ)俊雄・航空幕僚長の「真の近現代史観」懸賞応募論文」を転載させていただきます。 日本は侵略国家であったのか 田母神俊雄 ア メ リ カ 合 衆 国 軍 隊 は 日 米 安 全 保 障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。現在の中国政府から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。これに対し、圧力をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない。 こ の 日 本 軍 に 対 し 蒋 介 石 国 民 党 は 頻 繁 に テロ行為を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。これは現在日本に存在する米軍の横田基地や横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛け、米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するようものであり、とても許容できるものではない。これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、その都度蒋介石に裏切られるのである。実は蒋介石はコミンテルンに動かされていた。1936 年の第2 次国共合作によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党のゲリラが国民党内に多数入り込んでいた。コミンテルンの目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった。我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937 年8 月15 日、日本の近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻(ぼうれい)を膺懲(ようちょう)し以って南京政府の反省を促す為、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表した。我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。 1928 年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。「マオ( 誰も知らなかった毛沢東)( ユン・チアン、講談社)」、「黄文雄の大東亜戦争肯定論( 黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け( 櫻井よしこ編、文藝春秋)」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。日中戦争の開始直前の1937 年7 月7 日の廬溝橋事件についても、これまで日本の中国侵略の証みたいに言われてきた。しかし今では、東京裁判の最中に中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で「廬溝橋の仕掛け人は中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言していたことがわかっている「大東亜解放戦争( 岩間弘、岩間書店)」。もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。 我 が 国 は 満 州 も 朝 鮮 半 島 も 台 湾 も 日本本土と同じように開発しようとした。当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。満州帝國は、成立当初の1932 年1 月には3 千万人の人口であったが、毎年100 万人以上も人口が増え続け、1945 年の終戦時には5 千万人に増加していたのである。満州の人口は何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからである。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。朝鮮半島も日本統治下の35 年間で1 千3 百万人の人口が2 千5 百万人と約2 倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。日本統治下の朝鮮も豊かで治安が良かった証拠である。戦後の日本においては、満州や朝鮮半島の平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。 我 が 国 は 満 州 や 朝 鮮 半 島 や 台 湾 に 学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残している。また1924 年には朝鮮に京城帝国大学、1928 年には台湾に台北帝国大学を設立した。日本政府は明治維新以降9 つの帝国大学を設立したが、京城帝国大学は6 番目、台北帝国大学は7 番目に造られた。 その後8 番目が1931 年の大阪帝国大学、9 番目が1939 年の名古屋帝国大学という順である。なんと日本政府は大阪や名古屋よりも先に朝鮮や台湾に帝国大学を造っているのだ。また日本政府は朝鮮人も中国人も陸軍士官学校への入校を認めた。戦後マニラの軍事裁判で死刑になった朝鮮出身の洪思翊ホンサイクという陸軍中将がいる。この人は陸軍士官学校2 6 期生で、硫黄島で勇名をはせた栗林忠道中将と同期生である。朝鮮名のままで帝国陸軍の中将に栄進した人である。またその1 期後輩には金キン錫源ソグォン大佐がいる。日中戦争の時、中国で大隊長であった。日本兵約1 千名を率いて何百年も虐められ続けた元宗主国の中国軍を蹴散らした。その軍功著しいことにより天皇陛下の金賜勲章を頂いている。もちろん創氏改名などしていない。中国では蒋介石も日本の陸軍士官学校を卒業し新潟の高田の連隊で隊付き教育を受けている。1 期後輩で蒋介石の参謀で何応欽カオウキンもいる。李王朝の最後の殿下である李垠イウン殿下も陸軍士官学校の2 9 期の卒業生である。李垠イウン殿下は日本に対する人質のような形で1 0 歳の時に日本に来られることになった。しかし日本政府は殿下を王族として丁重に遇し、殿下は学習院で学んだあと陸軍士官学校をご卒業になった。 陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。この李垠イウン殿下のお妃となられたのが日本の梨本宮方子まさこ妃殿下である。この方は昭和天皇のお妃候補であった高貴なお方である。もし日本政府が李王朝を潰すつもりならこのような高貴な方を李垠イウン殿下のもとに嫁がせることはなかったであろう。因みに宮内省はお二人のために1930 年に新居を建設した。 現在の赤坂プリンスホテル別館である。また清朝最後の皇帝また満州帝国皇帝であった溥儀フギ殿下の弟君である溥フ傑ケツ殿下のもとに嫁がれたのは、日本の華族嵯峨家の嵯峨浩妃殿下である。こ れ を 当 時 の 列 強 と い わ れ る 国 々との比較で考えてみると日本の満州や朝鮮や台湾に対する思い入れは、列強の植民地統治とは全く違っていることに気がつくであろう。イギリスがインドを占領したがインド人のために教育を与えることはなかった。インド人をイギリスの士官学校に入れることもなかった。もちろんイギリスの王室からインドに嫁がせることなど考えられない。これはオランダ、フランス、アメリカなどの国々でも同じことである。一方日本は第2 次大戦前から5族協和を唱え、大和、朝鮮、漢、満州、蒙古の各民族が入り交じって仲良く暮らすことを夢に描いていた。人種差別が当然と考えられていた当時にあって画期的なことである。第1 次大戦後のパリ講和会議において、日本が人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、イギリスやアメリカから一笑に付されたのである。現在の世界を見れば当時日本が主張していたとおりの世界になっている。時 間 は 遡 る が 、 清 国 は 1900 年の義和団事件の事後処理を迫られ1901 年に我が国を含む11 カ国との間で義和団最終議定書を締結した。 その結果として我が国は清国に駐兵権を獲得し当初2 600 名の兵を置いた「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。また1915 年には袁世凱政府との4 ヶ月にわたる交渉の末、中国の言い分も入れて、いわゆる対華21 箇条の要求について合意した。これを日本の中国侵略の始まりとか言う人がいるが、この要求が、列強の植民地支配が一般的な当時の国際常識に照らして、それほどおかしなものとは思わない。中国も一度は完全に承諾し批准した。しかし4 年後の1919 年、パリ講和会議に列席を許された中国が、アメリカの後押しで対華21箇条の要求に対する不満を述べることになる。それでもイギリスやフランスなどは日本の言い分を支持してくれたのである「日本史から見た日本人・昭和編( 渡部昇一、祥伝社)」。また我が国は蒋介石国民党との間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。常に中国側の承認の下に軍を進めている。1901 年から置かれることになった北京の日本軍は、36 年後の廬溝橋事件の時でさえ5600 名にしかなっていない「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。このとき北京周辺には数十万の国民党軍が展開しており、形の上でも侵略にはほど遠い。幣原喜重郎外務大臣に象徴される対中融和外交こそが我が国の基本方針であり、それは今も昔も変わらない。さ て 日 本 が 中 国 大 陸 や 朝 鮮 半 島 を 侵 略 し たために、遂に日米戦争に突入し3 百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。しかしこれも今では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。実はアメリカもコミンテルンに動かされていた。ヴェノナファイルというアメリカの公式文書がある。米国国家安全保障局( N S A )のホームページに載っている。膨大な文書であるが、月刊正論平成18 年5 月号に青山学院大学の福井助教授(当時)が内容をかいつまんで紹介してくれている。ヴェノナファイルとは、コミンテルンとアメリカにいたエージェントとの交信記録をまとめたものである。アメリカ1940 年から1948 年までの8年間これをモニターしていた。当時ソ連は1 回限りの暗号書を使用していたためアメリカはこれを解読できなかった。そこでアメリカは、日米戦争の最中である1943 年から解読作業を開始した。そしてなんと37 年もかかって、レーガン政権が出来る直前の1980 年に至って解読作業を終えたというから驚きである。しかし当時は冷戦の真っ只中であったためにアメリカはこれを機密文書とした。その後冷戦が終了し1995 年に機密が解除され一般に公開されることになった。これによれば1933 年に生まれたアメリカのフランクリン・ルーズベルト政権の中には3 百人のコミンテルンのスパイがいたという。その中で昇りつめたのは財務省ナンバー2 の財務次官ハリー・ホワイトであった。ハリー・ホワイトは日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人であると言われている。彼はルーズベルト大統領の親友であるモーゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領を動かし、我が国を日米戦争に追い込んでいく。当時ルーズベルトは共産主義の恐ろしさを認識していなかった。彼はハリー・ホワイトらを通じてコミンテルンの工作を受け、戦闘機100 機からなるフライイングタイガースを派遣するなど、日本と戦う蒋介石を、陰で強力に支援していた。真珠湾攻撃に先立つ1 ヶ月半も前から中国大陸においてアメリカは日本に対し、隠密に航空攻撃を開始していたのである。 ル ー ズ ベ ル ト は 戦 争 を し な い と い う 公 約 で大統領になったため、日米戦争を開始するにはどうしても見かけ上日本に第1 撃を引かせる必要があった。日本はルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行することになる。さて日米戦争は避けることが出来たのだろうか。日本がアメリカの要求するハル・ノートを受け入れれば一時的にせよ日米戦争を避けることは出来たかもしれない。しかし一時的に戦争を避けることが出来たとしても、当時の弱肉強食の国際情勢を考えれば、アメリカから第2, 第3 の要求が出てきたであろうことは容易に想像がつく。結果として現在に生きる私たちは白人国家の植民地である日本で生活していた可能性が大である。文明の利器である自動車や洗濯機やパソコンなどは放っておけばいつかは誰かが造る。しかし人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。 強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。 さ て 大 東 亜 戦 争 の 後 、 多 く の ア ジ ア 、 ア フリカ諸国が白人国家の支配から解放されることになった。人種平等の世界が到来し国家間の問題も話し合いによって解決されるようになった。それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2 百年遅れていたかもしれない。そういう意味で私たちは日本の国のために戦った先人、そして国のために尊い命を捧げた英霊に対し感謝しなければならない。そのお陰で今日私たちは平和で豊かな生活を営むことが出来るのだ。 一 方 で 大 東 亜 戦 争 を 「 あ の 愚 劣 な 戦 争 」 などという人がいる。戦争などしなくても今日の平和で豊かな社会が実現できたと思っているのであろう。当時の我が国の指導者はみんな馬鹿だったと言わんばかりである。やらなくてもいい戦争をやって多くの日本国民の命を奪った。亡くなった人はみんな犬死にだったと言っているようなものである。 しかし人類の歴史を振り返ればことはそう簡単ではないことが解る。 現在においてさえ一度決定された国際関係を覆すことは極めて困難である。日米安保条約に基づきアメリカは日本の首都圏にも立派な基地を保有している。これを日本が返してくれと言ってもそう簡単には返ってこない。ロシアとの関係でも北方四島は6 0 年以上不法に占拠されたままである。竹島も韓国の実行支配が続いている。 東 京 裁 判 は あ の 戦 争 の 責 任 を 全 て 日本に押し付けようとしたものである。そしてそのマインドコントロールは戦後63 年を経てもなお日本人を惑わせている。日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する、だから自衛隊は出来るだけ動きにくいようにしておこうというものである。自衛隊は領域の警備も出来ない、集団的自衛権も行使出来ない、武器の使用も極めて制約が多い、また攻撃的兵器の保有も禁止されている。諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。このマインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。アメリカに守ってもらうしかない。アメリカに守ってもらえば日本のアメリカ化が加速する。日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法もアメリカのシステムに近づいていく。改革のオンパレードで我が国の伝統文化が壊されていく。日本ではいま文化大革命が進行中なのではないか。日本国民は2 0 年前と今とではどちらが心安らかに暮らしているのだろうか。日本は良い国に向かっているのだろうか。私は日米同盟を否定しているわけではない。アジア地域の安定のためには良好な日米関係が必須である。但し日米関係は必要なときに助け合う良好な親子関係のようなものであることが望ましい。子供がいつまでも親に頼りきっているような関係は改善の必要があると思っている。 自 分 の 国 を 自 分 で 守 る 体 制 を 整 え る こ と は、我が国に対する侵略を未然に抑止するとともに外交交渉の後ろ盾になる。諸外国では、ごく普通に理解されているこのことが我が国においては国民に理解が行き届かない。今なお大東亜戦争で我が国の侵略がアジア諸国に耐えがたい苦しみを与えたと思っている人が多い。しかし私たちは多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識しておく必要がある。タイで、ビルマで、インドで、シンガポールで、インドネシアで、大東亜戦争を戦った日本の評価は高いのだ。そして日本軍に直接接していた人たちの多くは日本軍に高い評価を与え、日本軍を直接見ていない人たちが日本軍の残虐行為を吹聴している場合が多いことも知っておかなければならない。日本軍の軍紀が他国に比較して如何に厳正であったか多くの外国人の証言もある。我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である。日 本 と い う の は 古 い 歴 史 と 優 れ た 伝 統を持つ素晴らしい国なのだ。 私たちは日本人として我が国の歴史について誇りを持たなければならない。人は特別な思想を注入されない限りは自分の生まれた故郷や自分の生まれた国を自然に愛するものである。日本の場合は歴史的事実を丹念に見ていくだけでこの国が実施してきたことが素晴らしいことであることがわかる。嘘やねつ造は全く必要がない。個別事象に目を向ければ悪行と言われるものもあるだろう。それは現在の先進国の中でも暴行や殺人が起こるのと同じことである。私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである。 以上 本日ご紹介の患者さんは頬骨下をよりふっくらさせたいとのご希望にてニューフィル(スカルプトラ)注入術をお受けになられた患者さんです。 上段:術前です。 下段:術後約10か月再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています) ![]() 順調な経過です。 ニューフィルは、1999年にフランスでしわ取り剤として承認を受けたポリ乳酸で、ニュー・フィル(NEW-FILL)という名称で米国外で市販されています。米国ではスカルプトラという商品名で販売されています。主な作用としては注入部位の自己コラーゲンの増殖をもたらすとされています。 HIV(エイズの原因ウイルス)によって顔面皮膚組織萎縮を発症した患者を対象としたスカルプトラの臨床試験では、初回の注入から効果が最高2年間持続するという結果が示されていますが、美容医療目的で使用した場合の安全性は担保されていません。 長所はヒアルロン酸と比較し長く持つ点ですが欠点としてはどのくらい自己コラーゲンが増えてくれるか予想しづらい点です。 すなわち効果がでるまで時間がかかりますし希望の形態を得るために何度か注入が必要になるかもしれません 先日お心遣いをいただきました ![]() ありがとうございます。 深謝します。 私のブログを「日々こっそり見ている」とのことですが歴史認識が日本政府の公式見解と異なるようなのでいつかどこかで更迭処分を受けないように「こっそり」みてください。
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| 2008-10-31 23:45
| 美容外科
本日ご紹介の患者さんは眉骨削り、額アパタイト形成術、 頬骨再構築法、わし鼻修正術、顎プロテーゼ留置術をお受けになられた患者さんです。
左:術前です。 右:術後約6か月再診時です。 (写真は患者さんの快諾を得て供覧しています) ![]() 左:術前です。 右:術後約6か月再診時です。 (写真は患者さんの快諾を得て供覧しています) ![]() 一日で手術をお受けになられたので大変だったと思います。 よく頑張られました。 術前に気にされていたゴツゴツさがなくなられたと思います。 順調な経過です。 眉骨削りのリスク ・頭皮を冠状切開して手術をしますので頭髪内の手術創が目立たなくなるとはいえ髪をかきわけてよく見ればまるで脳外科手術をうけたようになります。 ▲
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| 2008-10-30 23:34
| 美容外科
本日ご紹介の患者さんは2年以上前に私の執刀にて鼻尖縮小術をお受けになられた既往があります。
一週間後の抜糸後は再診に現れていらっしゃらなかったのでどうしたものかと案じておりました。 そんな患者さんが2年ぶりにひょっこり現れました。 その後鼻先を下げたいとのご希望にて1年前に某クリニックで鼻先を下げる目的!?でL型プロテーゼを留置術をうけたとのことです。 (筆者注: L型プロテーゼ単独で鼻先を下げることは非常に危険であることは美容外科医にとって常識であると私個人は思っていましたが・・・) 鼻先はプロテーゼが今にも飛び出しそうに皮膚が薄くなり赤くはれていました。 皮膚を突き破ってしますとかなり目立つ醜状痕を残しますので緊急に前医にての抜去手術をお勧めしました。 しかし前医での執刀をかたくなに拒否されたので私が行うこととしました。 しかも注文は鼻根部の高さが一気になくなると周囲の目もあるのでどうにか鼻先のみの処理にとどめてほしいとのことでした。 上段:術前です。今にもプロテーゼが飛び出しそうになってきています。 下段:術後一週間抜糸時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています) ![]() (写真をクリックすると拡大します) まだまだ鼻先の皮膚が奇麗に治るには予断を許さない状態です。 患者さんへ 「禁煙を厳守してください!」 この合わないL型プロテーゼがいかに恐ろしいものであるか2年前の患者さんの写真から振り返ってみましょう。 上段:2年前術前です。 中段:2年前の鼻尖縮小術術後1週間再診時です。 下段:今回L型プロテーゼ頭部除去手術術後です。 ![]() 鼻先を下げたくてうけたL型プロテーゼ留置術だったはずなのに皮膜硬縮が生じてプロテーゼの頭部を抜去したら以前よりも上向きになってしまっています。 鼻先をしっかり下げたいとのご希望ですがこれからの修正の道は残念ながら困難なものになるかもしれません。 皮膚の状態が落ち着く6か月を待ってその後も頑張れるのなら私も一生懸命お付き合いします。 ▲
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| 2008-10-29 00:14
| 美容外科
本日ご紹介の患者さんは他院にて鼻尖縮小術をお受けになられた既往のある患者さんです。 術後鼻先が丸くなってしまったとのこと修正手術をご希望にご来院されました。 鼻の修正手術は様々なトラブルがでる可能性があるものでまさに「美容外科手術の火薬庫」みたいなものです。 従って状態をよくわかっている執刀医に再度依頼するように再三説得をさせていただきましたが、患者さんのお話によると術後より担当医に修正手術をかけあうも「これ以上いうなら出入り禁止にするよ」といわれたとのことで強いご希望にて修正手術を引き受けることとしました。 上段:術前です。 下段:術後半年再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています) ![]() 修正手術の一番のリスクは剥離した皮膚のところに生じる凹凸ですが残念ながらこの方には生じてしまいました。 右鼻翼上部に術前よりひきつれがありかなり注意して剥離したのですが術後凹凸を生じました。 コメントをいただきました。 ![]() 「少々...ふくらみが気になります。 形は大満足です。」 お辛いはずであるのにこのようなコメントをくださり他の部位の手術のご依頼もしてくださいました。 今後とも全力を尽くさせていただきます。 鼻尖縮小術修正手術は全国からご相談がいらっしゃいます。 遠方からわざわざご相談にいらしていただいているのに私が修正手術に伴うリスクを力説するとご落胆され帰途につかれる方々を見ては心痛めておりました。今回患者さんのご厚意により写真を供覧することができご遠方の方にも具体的にリスクの実態がお分かりになられたと思います。 鼻尖縮小術修正手術に対する私の原則は以下になります。 1.まずは元の執刀医に相談してみてください。 2.術後6か月以内は行いません。 3.術後6か月経ていても鼻先が触診でかなり固い状態はかなりリスクが高いと判断します。 4.リスクとしては再手術は感染、皮膚トラブル(ギプス負け、皮膚壊死、凹凸形成)の確率がグンとあがります。 私が今まで経験した鼻のトラブルはすべて再手術によるものといっても過言ではありません。 再手術のご依頼を私にしようとされる方は上記を銘記の上カウンセリングにいらしてください。 それらを踏まえてもやはり修正をご依頼されるのであれば私も腹をくくって死力を尽くします。
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| 2008-10-28 21:03
| 美容外科
本日ご紹介する患者さんは 今まで二回の人中短縮術をお受けになられた方になります。
人中(にんちゅう)とは鼻と唇の間の部分になります。 ここの部分が長いと間のびしたようは表情になるためこれを改善する目的にてこの手術を行います。 長所としては人中部分が短縮され、上口唇がやや厚くなり年配の方がこの手術をお受けになられると若返った印象になります。 今回ご紹介の患者さんは二年半前に人中短縮術をお受けになられる効果に大変ご満足されるも、小鼻を縮小しその際に再度もっと人中を短縮したいとのご希望にて小鼻縮小術および人中短縮術を約1年前にお受けになられました。 上段:術前です。 中段:術後約1年半年です。 この後小鼻縮小術、人中短縮術(二度目)をお受けになられました。 下段:初回手術後約2年半年後、二度目の手術(小鼻縮小術、人中短縮術(二度目)術後一年再診時です。 (写真は患者さんの快諾を得て供覧しています) ![]() 傷痕で気になる点がおありとのことで二回目術後9か月の時点(約3か月前)で傷痕の微調整を行いました。 先日の再診時にご感想をいただきました。 ![]() 二度の短縮術で総計11mmも鼻下の皮膚を切った私としては傷が残るのではないか心配で仕方がありませんでしたがきちんと再診に来てくださりアフターケアを受けてくださったので現在は「ノーメイクでもほとんどわからなくなりました」とのことで幸いです。 人中短縮術のリスク 1.鼻の下に傷ができる点 2.上口唇を厚くしたくない人にとっては困る点 先日お心遣いをいただきました。 ![]() ありがとうございます。 どうか御気を遣わないでください。 ▲
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| 2008-10-27 00:59
| 美容外科
今日は99年前の1909年に伊藤博文がロシア蔵相ウラジーミル・ココツェフと満州・朝鮮問題について非公式に話し合うため訪れたハルビン駅で、韓国の民族運動家安重根によって狙撃され、死亡した日になります。 韓国併合反対の立場を取っていた伊藤博文ですが、統監であったことが一部の政治運動家の恨みを買うことになり暗殺され結果的に韓国併合を早めました。
今日は1942年に南太平洋海戦にて日本海軍が太平洋におけるアメリカ軍の稼働空母を一時的に0とせしめた日にもなります。 本日ご紹介の患者さんはわし鼻修正術をお受けになられた患者さんです。 上段:術前です。 下段:術後1週間再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています) ![]() 順調な経過です。 先日お心遣いをいただきました。 ![]() 深謝します。 どうか御気を遣わないでください。
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| 2008-10-26 23:49
| 美容外科
本日ご紹介の患者さんは頬骨の張りを抑えたいとのご希望にて頬骨再構築法をお受けになられた患者さんです。
頬骨の張りを抑えるには以下の方法があります。 .頬骨を削る方法・・・・・ まさに頬骨削りの文字通りの方法です。 特殊な電動機械を用いて頬骨を削りますが削り幅はあまりたいしたことはなく頬骨のでっぱりが強めの人には適しません。 もちろん時間をかけて削れば削り幅を増やすことは不可能ではないですがモーターが焼け付く可能性があるため削り幅に限度があります。 2.頬骨弓を切り落とす方法・・・・ 多くの形成外科医が行う頬骨弓に対する術式です。口腔内と耳前部よりアプローチし頬骨弓を切り落とす方法です。 リスクとしては他院でこの術式でされて顎関節が破壊され開口障害が生じて困っている方や段差でお悩みの方、変化が感じられない方等のご相談をうけたことがあります。 3.頬骨弓の形態そのものを再構築する方法・・・・ ライフクリニックの勝間田先生が昭和50年後半から60年前半にかけて十仁病院にて研究開発された手術法で頬骨を細分化して再配列、再構築する方法です。 他の方法で効果がなかった多くの患者さんがこの方法を求めて勝間田先生のところへいらっしゃっています。 左:術前です。 右:術後1か月再診時です。 (写真は患者さんの快諾を得て供覧しています) ![]() 満足!とのことで順調な経過です。 輪郭手術の完成は約半年後になります。 私の行う頬骨再構築法のデメリット 1.効果がありすぎて希望よりも凹んだ状態に感じる場合がまれにあります。 その際は脂肪移植等のメンテナンスが必要になるかも知れません。 2. 顔面神経側頭枝麻痺(おでこに皺を作ることができなくなる)の可能性があります。 現在半永久的に麻痺が残った方はいませんが改善まで最長8ヶ月を要した方がいらっしゃいます。
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| 2008-10-25 23:42
| 美容外科
本日ご紹介の患者さんは既往として他院にて二度も陥没乳頭修正手術をお受けになるも改善なくご相談にこられた患者さんです。
確実に治せる自信がありましたので手術をお勧めしました。 上段:術前です。 下段:術後1か月再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています) ![]() 順調な経過です。
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| 2008-10-24 23:52
| 美容外科
今日は大東亜戦争中の1944年10月23日から同25日にかけてフィリピン及びフィリピン周辺海域でレイテ沖海戦(レイテおきかいせん、Battle of Leyte Gulf)が始まった日になります。
本日ご紹介の患者さんは頬骨再構築法を≒頬骨(きょうこつ)アーチリダクション=頬骨弓リダクション≒頬骨削り(切り)をお受けになられた患者さんです。 頬骨アーチリダクション、頬骨弓リダクションは無理に日本語に訳すと頬骨弓減幅術または頬骨弓減高術とでもいいましょうか。 内容は頬骨(きょうこつ)の張りを減少させる手術となります。 この頬骨の張りを減少させる方法として大きくわけて3種類あります。 1.頬骨を削る方法・・・・・ まさに頬骨削りの文字通りの方法です。 特殊な電動機械を用いて頬骨を削りますが削り幅はあまりたいしたことはなく頬骨のでっぱりが強めの人には適しません。 もちろん時間をかけて削れば削り幅を増やすことは不可能ではないですがモーターが焼け付く可能性があるため削り幅に限度があります。 2.頬骨弓を切り落とす方法・・・・ 多くの形成外科医が行う頬骨弓に対する術式です。口腔内と耳前部よりアプローチし頬骨弓を切り落とす方法です。 リスクとしては他院でこの術式でされて顎関節が破壊され開口障害が生じて困っている方や段差でお悩みの方、変化が感じられない方等のご相談をうけたことがあります。 3.頬骨弓の形態そのものを再構築する方法・・・・ ライフクリニックの勝間田先生が昭和50年後半から60年前半にかけて十仁病院にて研究開発された手術法で頬骨を細分化して再配列、再構築する方法です。 他の方法で効果がなかった多くの患者さんがこの方法を求めて勝間田先生のところへいらっしゃっています。 上段:術前です。 下段:術後1年6か月再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています) ![]() 順調な経過です。 私の行う頬骨再構築法のデメリット 1.効果がありすぎて希望よりも凹んだ状態に感じる場合がまれにあります。 その際は脂肪移植等のメンテナンスが必要になるかも知れません。 2. 顔面神経側頭枝麻痺(おでこに皺を作ることができなくなる)の可能性があります。 現在半永久的に麻痺が残った方はいませんが改善まで最長8ヶ月を要した方がいらっしゃいます。
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| 2008-10-23 09:41
| 美容外科
本日ご紹介の患者さんは正面から鼻の穴が見えるのが気になるということで色々なクリニックを回るも「そんなことはできない」といわれ私のもとにたどり着いてきて下さった患者さんです。
右:術前です。 中:術直後です。 左:術後1年再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています) ![]() ご満足 とのことで順調な結果です。 鼻孔縁下降(延長)術 大きく術法として2通り(詳細はカウンセリング時にご説明しています)あります。 今回ご紹介の患者さんは皮膚軟骨移植法を行っています。 皮膚軟骨移植法の欠点 1.採皮膚、軟骨部の傷 (耳の一部からとりますが通常は目立ちません) 2.移植片の盛り上がり (鼻の穴を下から見ると移植片が盛り上がって見える場合があります。その場合は術後半年を経てトリミングを行います)
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by shirayuribeauty
| 2008-10-22 09:42
| 美容外科
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