今日は1944年3月より開始された第15軍司令官牟田口廉也陸軍中将の立案した
インパール攻略作戦が同年に大本営によって中止された日になります。このインパール攻略作戦は連合国から中国への主要な補給路(援蒋ルート)を絶つことおよびイギリス支配下のインド独立運動を支援することによってインド内部を混乱させ、イギリスをはじめとする連合軍の後方戦略を撹乱する目的がありましたが補給路の計画等が杜撰であったため飢えと赤痢のために屍の山を築くこととなりました。
退却戦に入り、退却路に沿って延々と続く、蛆の湧いた餓死者の白骨死体が散乱するむごたらしい有様を、日本兵は「
白骨街道」若しくは「
靖国街道」と呼びました。
英軍は進撃途上で生死を問わずガソリンをかけて日本兵を焼却し戦場のむごたらしさは凄惨を極めていたとされています。
投入兵力8万6千人に対して、実に7万4千人近くが亡くなりました。
戦後、この地域の政情不安のため、インド政府は外国人の立ち入りを規制しているため遺骨収集などは進んでおらず、やっと日本政府がインド政府の協力の下、インパール近郊のロトパチン村に慰霊碑を建立できたのは1994年のことになります。
本日ご紹介の患者さんは人中短縮術(若先生)をお受けになられた患者さんです。
上段:術前です。
下段:術後1週間再診時です。
順調な経過です。 しかしその後半年以上も再診にいらしておりません。
便りがないのはよい便りと信じたいですが定期的な検診は重要です。 もうキズも白くなって目立たなくなっている時期だとは思います。もし気になることがありましたら御遠慮なさらず再診にいらしてください。