1945年の8月18日未明、占守島(しゅむしゅとう)〔千島列島の北東端を占める島・千島列島唯一のソ連軍との激戦地〕にソ連軍が侵攻し日本軍と戦闘になりました。
8月15日の玉音放送後、日本軍は武装解除を行い本土に帰る準備を進めてていましたが18日の国籍不明軍によるこの攻撃により防衛配置につき国防のため、そして島に残る婦女子のために日本軍として最後の組織的戦闘を行いました。
当時占守島には缶詰工場で働く約400人の若い女子工員がいました。ソ連軍による婦女子の陵辱を恐れた占守島司令部隊は、一斉の高射砲攻撃の中、島にあった独航船20数隻に女性を乗せ無事に北海道に脱出させることに成功しました。
占守島の兵士はノモンハン事件やガダルカナル島の生き残りが多く実戦経験があり、士気も高く、ソ連軍の一日で占守島を占領し北海道まで侵略する作戦を押しとどめるどころかあとわずかの攻撃で日本軍がソ連軍を殲滅という体勢にまでなりました。しかしそのとき、札幌の方面軍司令部から「戦闘を停止し、自衛戦闘に移行」との軍命令が届き、停戦交渉を開始せざるを得なくなりました。
占守島における日本軍の最終的な武装解除がなされたのは8月24日になります。日本では、8月15日を終戦の日として扱っていますが、その後も祖国を守る戦いは占守島では続いていました。
島を死守し、婦女子を保護し、祖国を守るべく戦い抜いた日本兵士達は、戦闘終了後帰国できるはずがソ連に極寒のシベリアに強制連行され奴隷労働に従事させられ多くが命を落としました。
故郷に帰り、家族に会えるという望みをがあったにもかかわらず終戦後も命をかけて守るべきものを守る為に戦い、かろうじて生き残った者も不法なシベリア抑留までされて散っていった彼らを日本人は決して忘れてはならないと思います。
遊就館内パンフレットより
本日ご紹介の患者さんは既往としては他院にて鼻プロテーゼ留置術、鼻尖縮小術、鼻尖部軟骨移植術、鼻柱下降術をお受けになられたことのある患者さんです。
今回、鼻先を下げたい、鼻の穴を正面からなるべく見えなくしたいとの御希望にて鼻孔縁下降術(鼻孔縁延長術)、他院で留置された鼻尖部軟骨の移動および追加軟骨移植術をお受けになられました。
上段:術前です。
下段:術後3週再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています。)
正面から鼻の穴も目立たなくなり鼻先も下がり順調な経過です。
軟骨を利用した鼻孔縁下降術(鼻孔縁延長術)は術後約半年経て鼻孔内に突出した部分をトリミング行います。 完成まで半年はかかりますがあせらず頑張りましょう。