今日は1898年に時の米大統領ウィリアム・マッキンリーがハワイの米国領への編入を宣言した日になります。
この日、イオラニ宮殿に掲げられていたハワイ王国国旗が降ろされ、星条旗が揚げられました。この日からハワイは米国の準州として扱われました。
ハワイが50番目の州としてハワイ州が成立して完全に米領土となったのは1959年8月21日になります。
1893年1月16日、アメリカと関連の深い業者らが、さらにアメリカ寄りの政権をうちたてるため、政権の転覆を計画しました。アメリカ海軍艦が首謀者サンフォード・ドール (Sanford B. Dole)(ハワイのパイナップル王ジェームズ・ドールのいとこにあたる。ジュースのドールは日本でも有名) らを保護する名目でホノルルに到着しハワイ王国のリリウオカラニ女王は幽閉状態となりました。1月17日、ドールは臨時政府をうちたて、王政の廃止を宣言した。
時の明治政府は「在留邦人保護」を名目として、2月23日に巡洋艦「浪速」(艦長:東郷平八郎)、28日に「金剛」をホノルル港に入港せしめ、新政権を牽制しました。東郷は新政権との接触を避け、リリウオカラニ元女王にのみ謁見しました。
アメリカ人の樹立した臨時政府が東郷平八郎浪速艦長に対し「政府樹立1周年を祝って礼砲21発を撃つよう」要請しますが東郷はこれを拒否、ホノルル在泊の他の国の軍艦も、日本の軍艦「浪速」に倣って祝砲の発射を行ないませんでした。アメリカ人の臨時政府は面目を失い、ハワイ人は日本と東郷・浪速を尊敬したとされています。
ハワイ人の間では、この東郷平八郎の行動に感銘を受け、「トーゴー」という名を子供につけたり、「ナニワ」を「ありがとう」という意味で使ったりしたと言われています。
東郷平八郎はこの10年後の1903年に連合艦隊司令長官に就任。翌年の日露戦争ではみずから主要作戦を指揮し、ロシアのバルチック艦隊を日本海海戦で壊滅せしめました。
本日ご紹介の患者さんは頬骨再構築法をお受けになられた患者さんです。
頬骨の張りを減少させる方法として大きくわけて3種類あります。
1.頬骨を削る方法・・・・・ まさに頬骨削りの文字通りの方法です。 特殊な電動機械を用いて頬骨を削りますが削り幅はあまりたいしたことはなく頬骨のでっぱりが強めの人には適しません。 もちろん時間をかけて削れば削り幅を増やすことは不可能ではないですがモーターが焼け付く可能性があるため削り幅に限度があります。
2.頬骨弓を切り落とす方法・・・・ 多くの形成外科医が行う頬骨弓に対する術式です。口腔内と耳前部よりアプローチし頬骨弓を切り落とす方法です。 リスクとしては他院でこの術式でされて顎関節が破壊され開口障害が生じて困っている方や段差でお悩みの方、変化が感じられない方等のご相談をうけたことがあります。
3.頬骨弓の形態そのものを再構築する方法・・・・ ライフクリニックの勝間田先生が昭和50年後半から60年前半にかけて十仁病院にて研究開発された手術法で頬骨を細分化して再配列、再構築する方法です。
他の方法で効果がなかった多くの患者さんがこの方法を求めて勝間田先生のところへいらっしゃっています。
上段:術前です。
下段:術後3ヶ月再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています。)
順調な経過です。 輪郭手術の完成は約半年後になります。
私の行う頬骨再構築法のデメリット
1.効果がありすぎて希望よりも凹んだ状態に感じる場合がまれにあります。 その際は脂肪移植等のメンテナンスが必要になります。
2. 顔面神経側頭枝麻痺(おでこに皺を作ることができなくなる)の可能性があります。
現在半永久的に麻痺が残った方はいませんが改善まで最長8ヶ月を要した方がいらっしゃいます。