心に染み入る先生
中学三年生に漢文の授業で深津先生という先生に教わりました。 ずいぶんと年配風な先生で自分の祖父に似ていた風貌をもったこの先生の授業はずいぶん好意的に聞いていた記憶があります。 あとにも先にも私の人生において最も意味のあった授業はこの深津先生の授業でした。 「人間万事塞翁が馬」「伯夷・叔斉 首陽山に死す」「朝三暮四」等 ずいぶんと人生に対する叡智を学ばせてもらったと思います。 当時は暗唱できた漢詩も今やすっかり忘却の彼方ですが意味はしっかりと覚えているつもりです!?
さてそんな深津先生のことですが最初は「偉そうな講釈たれる先生だけど所詮口だけだろ」と大人に対する不審感でいっぱいだった十代の自分は他の教師を見る目と対して変わりありませんでした。そんなある日深津先生が『陰徳』について触れられました。『陰徳』とは人に知られないようにひそかにする善行のことですがそれまでそのような言葉を知らなかった自分は目からうろこが落ちるような衝撃を覚えました。 と 同時に「そんなの口だけでどうにでも言えるよ」とも思っていました。
ある日の朝 偶然 朝早く学校にきすぎてしまって誰もいない教室からふと裏山を眺めたところおじいさんが裏山を掃除していました。 裏山は生徒が漫画本や紙コップやジュースの缶などをよく捨てるところですが比較的いつもきれいでした。 そう。 実はその深津先生が毎朝 掃除してくれていたのです。 たまたまの偶然かもしれないと思った自分は翌日も早朝学校にいきそっと窓のところにたって外を見てみると7時半ぐらいから深津先生が現れて黙々と掃除をされています。
その翌日も懲りずに確認するために早朝学校にいきました。 また7時半ぐらいになると深津先生が現れて黙々と掃除をされています。 クラスメートに聞いても誰もそんな事実は知りませんでした。
「偉いよ。 偉すぎるよ・・・」 薄っぺらな大人たちに嫌気がさして反抗期絶頂バリバリだった自分は深津先生にシャッポを脱ぎました。
自分も深津先生に見習って陰徳を積もう! と子供心ながらに思った自分は授業が終わると一人掃除をしてみました。 男子校だった私の学校は荒れ放題で誰も掃除せず教師が「掃除しろ!」といっても「まだ床の木目がみえるじゃーん」とか野次が飛んで誰も掃除しない状況で教室の後ろにはゴミの山ができていました。 何週間かたったある日 放課後遅くに担任の教師がいきなり教室に現れました。 「何やっているんだ???」 教師がいぶかしがるのも無理はありません。
当時札付きのワル扱いされていた自分が独り教室で黙々と掃除をしているのですから・・
「掃除です。」と答えると「最近教室がきれいになったと思っていたが・・??? お、 おまえが・・?・?」 と唖然としています。
恥ずかしくなってしまった自分は以後ぴたりと掃除をやめてしまいました。
図体と態度ばかりでかくて幼かったと今更ながらに思います。
あれからずいぶんと月日が経ちました。 常に深津先生の教えを思い出し陰徳を積むようそれなりに自己を研鑽してきたつもりですがまだまだ深津先生には及びません。
美容外科の分野においても陰徳を心がけて今までやってきましたが患者さんが結果に納得しなければただ単に悪徳になってしまいます。
自分でも因果な分野を選んだなぁと思います。
でも好きだから選んで良かったと思います。
今日は鼻孔縁挙上の紹介です。【写真は患者様の快諾を得て供覧しています】