今日は1945年3月16日に硫黄島において栗林中将が東京の大本営へ訣別電報を送った日になります。
10日後の26日に日本軍の最後の反攻が行われ、栗林大将、市丸少将以下、数百名の残存部隊がアメリカ軍陣地へ総玉砕攻撃を行いました。
これ以後組織的な戦闘は終結しました。しかし、その後も生き残った日本兵が地下坑道に潜伏し、一部は終戦を知らずに抵抗を続けました。終戦から4年後の1949年1月1日、最後の日本兵2名がアメリカ軍に投降し硫黄島における戦闘は終わりました。
硫黄島には、現在でも約一万三千柱の遺骨が未回収のまま残されており、現在の滑走路は日本兵の死体を埋めた上に作られています。また、一千人以上の日本兵の頭蓋骨が米兵によって”お土産”として米本国に持ち去られたと言われています。
本日ご紹介の患者さんは 某T国にて4か月滞在し両下腿の約6~7㎝の脚延長術をお受けになられ、日本に帰国したら右下腿に異音を生じ、近所の整形外科を受診したところ髄内釘が右脛骨からとびでていることを指摘されて当院にご相談に来られた患者さんです。
CTを撮影したところ 右下腿の髄内釘の先端は脛骨皮骨外に飛び出ており左髄内釘の先端も脛骨の皮骨外に飛びでていて危険な状況で 歩行できない状況でした。
某T国では術後約2週間で右下腿に感染を生じ、膿が噴出するも麻酔無しで洗浄手術をされて地獄だったのことでした。
スクリューの突出も進行し、明らかに感染を生じていたのでまずは緊急的に 他国で留置されてスクリューを抜去しました。
培養では骨髄内はcorynebactriumという多剤耐性菌に感染し、キズは閉じず常に膿が流れ出す慢性骨髄炎状態となっていました。
今回、骨髄炎を直しつつ骨変形を直し、かつ骨を延長するために まず 感染を抑え込むために 骨髄内は徹底的に削り出し洗浄をし、抗生剤を被覆した髄内釘を留置し、慢性骨髄炎化してしまって閉じない創には陰圧療法を併用しました。
感染が落ち着けば 骨延長 は可能ですが、落ち着かなければいったんは右下腿は左下腿とくらべて5㎝短いまま 感染の治療を徹底的にしなければなりません。
先日お心遣いをいただきました。
注:本ブログに掲載している戴きものはその日の記事に記載している患者様からいただいたものとは原則として無関係です)"Please note that the items featured in this blog, as a general rule, are unrelated to the patients mentioned in the daily articles."
ありがとうございます。 どうか御気を遣わないでください。
またのご来院をお待ちしております。