今日は1944年3月より開始された第15軍司令官牟田口廉也陸軍中将の立案したインパール攻略作戦が同年に大本営によって中止された日になります。このインパール攻略作戦は連合国から中国への主要な補給路(援蒋ルート)を絶つことおよびイギリス支配下のインド独立運動を支援することによってインド内部を混乱させ、イギリスをはじめとする連合軍の後方戦略を撹乱する目的がありましたが補給路の計画等が杜撰であったため飢えと赤痢のために屍の山を築くこととなりました。
退却戦に入り、退却路に沿って延々と続く、蛆の湧いた餓死者の白骨死体が散乱するむごたらしい有様を、日本兵は「白骨街道」若しくは「靖国街道」と呼びました。
英軍は進撃途上で生死を問わずガソリンをかけて日本兵を焼却し戦場のむごたらしさは凄惨を極めていたとされています。
投入兵力8万6千人に対して、実に7万4千人近くが亡くなりました。
戦後、この地域の政情不安のため、インド政府は外国人の立ち入りを規制しているため遺骨収集などは進んでおらず、やっと日本政府がインド政府の協力の下、インパール近郊のロトパチン村に慰霊碑を建立できたのは1994年のことになります。
本日ご紹介の患者さんは 私の中学高校生の同級生です。
今回は目の下のたるみ取りをしたいとのご希望にて目の下のたるみ取り (眼窩脂肪摘出術+下瞼脂肪移植術)を受けることとなりました。
上段:術前です
下段:術後3カ月再診時です

彼は優秀で現役で東京大学理科3類に入学し東大医学部に進学後、医師となり大学病院で要職につく外科系ドクターとして頑張っています。
某男子校同級生間で私が一番であったろうことは喧嘩の強さだけという今思うと何とも恥ずかしい少年時代でしたが、文武両道を目指していた!?彼は喧嘩も一番になろうと志したのか何度も在学中は喧嘩を挑まれました。
彼のすごいところは何度も痛い目にあわされただろうにそんな私に対しては遺恨も無く約20年年ぶりの同窓会で会話した私に対して「いとちゃん 今度是非目のたるみをとってよ」と屈託なく頼んできたところです。
手術を受けるには私に身を任せてくれるには中高生時代の事を思い起こせば勇気が必要だったはずです。
彼の度量に尊敬の念を禁じえません。
敬服して手術の依頼を受けさせてもらいました。
ご感想は「大満足(6/6)」と順調な経過です。
またの再診をお待ちしております。
お互い世のため人のため残りの人生頑張っていきましょう!
先日お心遣いを戴きました。

ありがとうございます。 どうか御気を遣わないでください。
またの御来院をお待ちしております。