今日は1945年 に重光葵(しげみつ まもる)外相以下9名の日本代表団が東京湾に浮かぶ連合国軍戦艦ミズーリ号艦上で降伏文書に調印し、連合国軍に公式に降伏した日なります。
降伏式中ミズーリの甲板は二枚の星条旗で飾られていました。一枚は真珠湾攻撃時にホワイトハウスに飾られていた物、もう一枚は1853年の黒船来航時にマシュー・ペリーの艦隊が掲げていた物であり、約90年越しの勝利として日本に二度目の屈辱を与えました。
このミズーリは大東亜戦争末期の昭和20年(1945年)4月11日午後2時43分、鹿児島県薩南諸島喜界島沖で、一機の零式戦闘機によって右舷艦尾に特攻されています。無念ながら爆弾は炸裂せず機体のみが激突後砕け散りミズーリにかすかなへこみのみを残しました。
この特攻機は鹿児島県の鹿屋(大隅半島)を飛び立った「第五建武隊」(計十六機)のうちの一機、
石野節雄・二等飛行兵曹(当時十九歳・岡山県出身)が操るゼロ戦でした。
<特攻機がミズーリに体当たりする直前>
無念ながら日本は敗戦しましたが我国の現在の繁栄は日本の自主独立と東亜の安定のために命を捧げて戦ってくださった方々および連合国軍の非人道的な虐殺行為で亡くなった多くの方々の犠牲の上に成り立っています。
深く深く深謝するとともに追悼の意を表します。
本日ご紹介の患者さんは頬骨の張りを減じたいとのご希望にて頬骨再構築法をお受けになられて術後約7年になる患者さんです
上段:術前です
下段:術後約7年再診時です

御感想は「大満足(5/5)」と順調な経過です。
またの御来院をお待ちしております。
頬骨再構築法は 現在ライフクリニックの院長を務めていらっしゃる
勝間田先生が開発した術式です。
その勝間田先生から以前いただいた 私の宝物があります。
私の
いくつかの宝物 のうちの一つをここに公開します。

勝間田先生が錦糸町の金物業者さんに特注でお作りになられた部品です。
Striker のreciprocating motorの先に装着できる 「KATSUMATA RASP」です。
勝間田先生は日本の美容外科の手術技術の開発における偉大な金字塔たる一人です。
その先生から賜ったこのRASPは私の宝物です。