今日は1905年に日露戦争の奉天会戦で日本軍が勝利した日です。それを記念して陸軍記念日が制定されました。
1945年 のこの陸軍記念日に
東京大空襲 が米国によりなされました。8万人以上(10万人ともいわれる)が犠牲になり、焼失家屋は約27万8千戸に及び、東京の3分の1以上の面積(40平方キロメートル)が焼失しました。
爆撃の方法も日本家屋を焼き国土を焦土とするため焼夷弾(しょういだん)を用い左右を先に爆撃して炎の壁をつくり、その間に避難して炎に挟まれた群集を、後続の爆撃機でその炎の壁の間を爆撃して焼き殺すという戦法が採用されました。この東京大空襲で余った焼夷弾を落としていった空襲が平空襲(たいらくうしゅう)(福島県いわき市平)となります。 この平空襲では材木町、鍛治町、研町、紺屋町、梅本一帯が焼かれ死者12名、家屋500戸以上が炎上という被害がでました。
この一連の民間人無差別大量虐殺の立案、指揮をしたのが第21爆撃集団司令官カーチス・エマーソン・ルメイいわゆる
鬼畜ルメイとなります。
大東亜戦争終戦後ルメイは戦略爆撃に精通し、また日本の防空体制の弱点(夜間防衛)を把握していたため日本の航空自衛隊創設に関与。1964年その功績により、日本政府より1964年勲一等旭日大綬章を授与されています。
第21爆撃集団司令官の前任者ヘイウッド・ハンセルが軍事施設にポイントをなるべく絞って精密爆撃を行っていたのに対し後任のルメイは無差別大量虐殺日本焦土作戦を行ったのにもかかわらずルメイに対し勲一等旭日大綬章を授与した当時の日本政府の判断に首を傾げざるをおえません。
国辱的行為だと思います。
また今日は1959年3月10日にチベット民族蜂起の日になります。
本日ご紹介の患者さんは脂肪移植豊胸術を 2回お受けになられて術後1か月の患者さんです。
1回目は腹部より脂肪採取 2回目は腰部より脂肪採取しています。
上段:術前です
下段:2回目脂肪移植豊胸より術後1か月再診時です
腹部はすっきりし、しこりもなく胸は大きくなり順調な経過です。
御感想は「まだ触れると吸引部の腰は違和感がありますが腫れも徐々に引いて細くなってきました。胸の方も定着している感じで良い感じです。」とのことで「満足(5/5)」とのことでした。
3回目の脂肪移植も是非行いたいとのことなのでまたの御来院をお待ちしております。
追記記事:
20140622
先日お心遣いをいただきました。

ありがとうございます。 どうか御気を遣わないでください。