今日は大東亜戦争開戦前の1941年に対ソ戦準備・フランス領インドシナ進駐を御前会議で決定した日になります。
この南部仏印進駐が日本の予想以上に米国を刺激し大東亜戦争を不可避にしてしまったものと考えられます。
よってその後の日本の運命を決める大決定をした日といえます。
また今日は1945年に呉市街地に米軍が無辜の一般市民にも焼夷弾をまき散らした日にもなります。
呉市街地空襲の戦闘命令・第93号が、1945年7月1日第21爆撃機軍団司令官鬼畜ルメイ少将から第58航空団に対して発令されB29が、曇り空の呉上空に達し第一弾を投下したのは7月2日の午前0時2分でした。燃え上がった炎を目印にしてB29は次々と呉市街地上空に侵入し、すりばち状の呉市街地の周辺から中心部へと焼夷弾を投下し呉市街地夜間無差別大空襲を行いました。
呉を襲ったB29は合計152機、全部で16万454発(1081・7トン)もの焼夷弾が投下された空襲は、午前2時5分まで続けられこの無差別大空襲による犠牲者は2000人以上といわれています
本日ご紹介の患者さんは頬骨再構築術後約7年、小鼻縮小術(内側法)術後約6年、 頬骨前方削り術後約3年、鼻根縮小術術後3年の患者さんです。
左:術前です。
右:頬骨再構築術後約7年、小鼻縮小術(内側法)術後約6年、 頬骨前方削り術後約3年、鼻根縮小術術後3年再診時です。(小鼻脇フラクショナルレーザー直後の撮影のため小鼻脇がやや赤くなっています)
頬骨手術は初代しらゆり院長であった福島先生と手術しました。
かつてのカルテをみてもう約7年もの歳月が経たことに思いをはせ目頭が熱くなりました。
諸般の事情により福島先生は院長職を私伊藤に禅譲し現在は一流の脊椎外科医として臨床の現場の第一線で活躍されています。
尊敬する外科医の盟友として福島先生とまた一緒に手術ができたら幸甚の至りです。
本患者さんは小鼻内側法は戻りもなく、骨切手術は後遺症なく順調な経過です。
またの御再診をお待ちしております。
追記: 記事に一部訂正があります。 詳細は20141012の記事をご覧ください。
おかげさまで当院も開院7年間を経て8年目になりました。
当院の患者さんよりお心遣いをいただきました。
このような贈り物をいただけるなんてかたじけないです。
深謝します。
理念
しらゆりビューティークリニックは「ほんとうの正しい美容医療」を 社会に提供していくことで「健康的に、美しく、明るく楽しく幸せに」人々が よりよい生活を享受できるよう社会貢献を行います。
こころざし
・その時代になしうる最高の医療を提供できるように日々研鑽に努めます。
・医療人として人々を健やかに美しくする一助となり、活気あり健やかで美しくそして誇りある日本の国造りを目指します。
いずれ私も土に還ります。 御英霊を始めととする御先祖様方に深謝しつつよりよい国造りの一助となって日本の土に還れれば本望です。 それまでは一期一会で精一杯やらせていただきます