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リボン
今日は1945年ソ連が当時の満州国において対日参戦 してきた日になります。

また長崎市に午前11時2分原子爆弾ファットマンが投下された日になります。
長崎市の人口約24万人のうち約14万8千人が死傷しました。

敗北寸前の日本に対しての原子爆弾投下はほぼ戦略上無意味であり二発もの原子爆弾を無辜の老幼婦女子に落とした当時の米国はまさに鬼畜米国でした。

先日九州からいらした患者さんがある歌を教えてくれました。


槙健一氏(享年32歳平成14年9月1日御永眠)のリボン(クリックしてください)という曲でした。

リボン  
     
作詩・槙健一
作曲・槙健一
編曲・関淳二郎

素敵な街だと 訪れてきた人々は言う
あの石畳も上りつめれば どこか切ない夢の中ヘ

祈りを込めて今 千羽の鶴を飛び立たせよう
大地を踏みしめた平和の像も
指を掲げてる 高く高くと掲げている

◆どんなに風の中へ 悲しみ飛ばしても
この長崎(まち)はあの日を忘れない
涙に唄う歌は 明日への希望の歌
心に響けば 天まで届く
そして今 僕らが願いを込めた リポンが風に舞う

ひまわりが空を仰ぎ 太陽を眺め
あの焼けた夏の日も 咲いていたのか
怯えた心に強く強くと 叫んでいたのか

あの日の黒い雨が 街を呑み込んだ
痛みと怒りと涙の日よ
暮れゆく夏の空に 涙が落ちてくる
帰らぬ友よ 無駄にはせぬと
だから今 僕らはピースを掲げ 平和を祈り続けよう

◆Repeat

◇今日のために 明日のために 永遠のために
いつか僕らが 命果てても 平和が消えないように

今日のために 明日のために 永遠のために
いつか僕らが 命果てても リボンよ風に舞え

◇Repeat


当時の米国は鬼畜米国ですがそれをいくら憎んでも失われた人々は戻ってきません。
無辜の老幼婦女子が虐殺されることのない世の中になるように自分にできることを身の回りから一つ一つしかやっていくしかありません。
素晴らしい曲を教えてくださったことに深謝いたします。
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by shirayuribeauty | 2007-08-09 02:02 | その他
解剖
今日は1853年にマシュー・ペリー米東インド艦隊指令長官が、米国大統領の親書を携え軍艦4隻で浦賀に来航した日になります。 この黒船来航にて日本の太平洋における新たな歴史が始まることとなりました。

今日はある大学の解剖室で解剖を行いました。
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日本の大学(二人の学生あたり一体を約半年かけて)、米国の大学(4~5人の学生あたり一体を約半年かけて)とに続き三箇所目の施設におけるたった一日の解剖でしたが色々と驚くことがありました。 まず大学の前にはストリートチルドレンが物欲しげに手を差し伸べていたり、ご遺体に何発もの銃創があったりして明らかに通常の病死ではないようなご遺体が含まれていたり、二人の医師にたった一日の解剖なのに一人のご遺体が供与される等々・・・

外科医としてやってきて常に立ち戻るのは解剖学であり、学生のときとは違った視点をもって行う解剖の意義は非常に高いため切望した解剖でしたがなんだか心に重いものが残りました。 

解剖の機会を与えてくださった関係者各位には深謝いたします。
いつか皆様に恩返しができますように。
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by shirayuribeauty | 2007-07-08 23:41 | 美容外科
モンテンルパ
今日は1953年に日比両政府がフィリピンのモンテンルパ刑務所に収監されていた日本人戦犯106名の減刑・釈放に合意した日になります。

ああモンテンルパの夜は更けて という歌を知っていますか?

この歌はフィリピンの日本人B級戦犯死刑囚により作詞作曲され、歌ったのが「支那の夜」や「何日君再来」などを歌った渡辺はま子氏になります。

1952年大東亜戦争終戦後7年も経過し、サンフランシスコ講和条約から1年もたって、A級戦犯も免責されんとしている時、まだ異国で処刑されていくBC級戦犯がいました。その異国の一つにフィリピンがあり日本人戦犯はモンテンルパ刑務所に収監され処刑されていっていました。

渡辺はま子氏は「ああモンテンルパの夜は更けて」のレコード化に奔走して、遂に大ヒットさせました。これにより、自分の生活に追われていた日本人の多くがフィリピンにおける同胞の悲愴な現実を知ることとなり、集票組織の無かった当時としては異例の、500万という助命嘆願書が集まりました。


1952年年12月24日、歌手・渡辺はま子氏のこの歌がモンテンルパの刑務所の中を流れました。40度を超す酷暑の中で、渡辺はま子氏は振袖を着て歌いました。この歌が流れると会場の中からすすり泣きが聞こえたといわれています。会場にいたフィリピンの元駐日大使デュラン議員が、当時禁じられていた国歌「君が代」を「私が責任を持つ、歌ってよい」と言った為、全員が起立して祖国日本の方に向い歌い始めましたが多くの人は泣いて声が出ず、泣き崩れる者もいたとされています。

しかしこの「ああモンテンルパの夜は更けて」のメロディーがそれを聞いたフィリピン大統領のキリノ氏の心を動かし日比両国の日本人戦犯106名の減刑・釈放合意につながりました。 

フィリピンは1898年6月12日独立宣言するも米比戦争で60万人のフィリピン人がアメリカ人により無残に虐殺され1946年7月4日に米国から独立の承認を得るまでに実に50年近くの歳月を要した国になります。
その間にも日本が大東亜戦争開戦直後よりフィリピンにある米軍基地を叩くためにフィリピンに侵攻しフィリピンの人々に多大な迷惑をかけました。

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マレーの虎と呼ばれた山下 奉文(やました ともゆき)陸軍大将が戦勝国による軍事裁判にて絞首刑に処されたマニラにて。  東洋の平和を祈り合掌。
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by shirayuribeauty | 2007-07-06 22:02 | 美容外科
二重切開術、目頭切開、たれ目形成術 : アンブロワーズ・パレ
本日ご紹介の患者さんは約半年前に二重切開術、目頭切開、たれ目形成術をお受けになられた患者さんです。
もともと黒目の下に余裕がなくたれ目形成を行うといわゆる「三白眼」になってしまうため医師としてはお勧めできない旨を強くお話しましたが「カラーコンタクトをつけるのでどうしてもしてほしい」とのご依頼にて施術をお受けすることとなりました。

上段:術前です。
下段:術後約半年後再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)
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目頭切開はミニZ法で行っています。
非常に順調とのことでしたが今度は目尻切開をしたいとのことでした。
目をより大きくしたいお気持ちはわかるのですが手術というものは欲張りすぎると好ましくない結果を招くことがあります。
このへんでご満足いただきたいとお願いしました。

美容外科手術にたずさわってきて悩むのが医師側と患者さん側との意識の差です。
私としてはキズの残る可能性や感染の可能性をお話しそれらのリスクを御納得いただいて万が一不具合が生じた場合はいわば全力で患者さんと共闘するつもりで手術に望むのですが中には医師を魔法使いのように考えリスクなしでなんでもできるとお考えなのかやめたほうがいいと強くアドバイスしても楽観的にお考えになられるのかお薦めできない手術を「やって欲しい」と懇願してご依頼され結果として希望されない状態になったときに医師を非常に責め立てる方がいらっしゃいます。

最近「ここまでリスクを話してご納得いただいてそれでもご依頼されるのであれば患者さんのためにメスを握ろう」という気持ちから「いくらリスクを話しても実感としてわかっていらっしゃらない患者さんの思いを尊重するのは実は患者さんのためになっていない。患者さんにとって将来不利益になりえる確率が高ければ心を鬼して患者さんのために断固として断るべきである。」というふうに考えが変わってきました。 「そんなの医者の悪しきパターナリズム【paternalism】(父親的干渉)じゃないか」といわれればそうなのかも知れませんがやはり万が一の事態になったときに術前のご説明と同意は無かったのごとく振舞われると私の落ち込みも激しいものがあります。
手術の最終仕上がりまでは最低でも半年はかかります。いくら文明が進歩しても人間のもつ自然治癒のスピードはそうは変わりません。

約400年以上前に外科学を革新した名医であるフランスの外科医アンブロワーズ・パレが言った「我包帯す、神、癒し賜う」は名言であり核心をついていると思います。

キズが癒え、治癒していくのは患者さんの治癒力によるのであり医師はその治癒の妨げにならないようにしなくてはなりません。

人の造作を人為的に創りかえるという行為は自然の摂理に反しているのかも知れません。 だからこそ細心の注意を払い自然の摂理になるべく沿うように医療行為を行っていかなければならないと思います。

メイヨー兄弟の格言
Charles・H・Mayo
31.医師が相談を受けるさまざまな症状の中で、痛みはどのようなものであれもっとも一般的な症状で多くの場合緊急な処置を要します。痛みの性質を適切に見極めることができれば、痛みは症状の中では有力な診断根拠のしるべとなるでしょう。

William・J・Mayo
31.今後の文明と知的発達は、予防医学の発展に大きく依存しています。
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by shirayuribeauty | 2007-04-13 00:00 | 美容外科
鎮魂
4月11日の今日は1942年にフィリピンのコレヒドールに司令部を置いていたダグラス・マッカーサー将軍が日本軍の攻撃に耐え切れずオーストラリアへと逃れた日となります。

また、大東亜戦争末期の昭和20年(1945年)4月11日午後2時43分、鹿児島県薩南諸島喜界島沖で、一機の零式戦闘機が米国戦艦「ミズーリ」の右舷艦尾に体当たりした日でもあります。無念ながら爆弾は炸裂せず機体のみが激突後砕け散りミズーリにかすかなへこみを残しました。

この特攻機は鹿児島県の鹿屋(大隅半島)を飛び立った「第五建武隊」(計十六機)のうちの一機、石野節雄・二等飛行兵曹(当時十九歳・岡山県出身)が操るゼロ戦でした。 

<特攻機がミズーリに体当たりする直前>
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戦艦ミズーリは昭和20年(1945年)9月2日、 重光葵(しげみつ まもる)外相以下9名の日本代表団が東京湾上で降伏文書に調印した船として有名です。その降伏式中ミズーリの甲板は二枚の星条旗で飾られていました。一枚は真珠湾攻撃時にホワイトハウスに飾られていた物、もう一枚は1853年の黒船来航時にマシュー・ペリーの艦隊が掲げていた物であり、約90年越しの勝利として日本に二度目の屈辱を与えました。


私は以前にハワイのパールハーバーでこの船に訪れた時に右舷艦尾のかすかなへこみが上述の日本の特攻機によるものだと知り衝撃を受けました。

19歳という若さで護国のために特攻した石野節雄二等飛行兵曹を深く尊敬しかつ感謝するとともにこの世の地獄と化していた沖縄を死守するために特攻で命を散らした方々へ鎮魂をお祈り申し上げます。
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by shirayuribeauty | 2007-04-11 14:43 | その他
鼻尖縮小術、耳軟骨移植術
最近、私がする手術に対して「なんでそんなに安いんですか? 安すぎて不安なんですが・・・」とよく聞かれます。

以前私がレジデントをしていた病院で救急部をローテーションしていたときにO先生という先生がいました。
その先生は愚痴ひとついわず朝から晩まで連日働きその博識さには私は度肝をぬかれていました。
救急部ですから事故等で運び込まれた人々が連日のようにお亡くなりになります。 人が亡くなるとき多くの場合は血圧が下がっていきだんだんと心臓の脈拍の間隔が伸びていって最期に心停止に至ります。 そして医師が瞳孔の対光反射、自発呼吸の有無、心臓の鼓動の有無を確認してそれらがないとなるとご臨終を告げることになります。 そしてなぜかお亡くなりになられるときは明け方ちょっと前が多いのです。
「この方はもうすぐ亡くなるな・・・」と大体の予想がつきますが脈が序々に伸びていって最期の心停止に至るまで時間がそれなりにかかりますから担当医は気を配りつつも心停止間際になるまで他のさまざまな仕事をしていることがほとんどです。
しかしO先生は夜中だろうと明け方だろうとずっと家族と共に患者さんに付き添いご臨終をみとっていました。 「先生、私が診ていますのでしばらくお休みになられたらどうですか?」と声をかけても「いや、いい。」 と動きません。

ある日彼に尋ねました。「先生、なぜずっと付き添っているのですか? 連日これだけの業務をこなしてクタクタのはずなのにいつ先生は寝ているのですか?」
彼は一言私にこう答えました。「世の中に僕みたいな医者が一人ぐらいいてもいいだろう。」

多くの医師に出会いましたがあれだけ博覧強記で名声を一切求めず自己を飾らず目の前の患者さんに全てをささげることができた医者は彼をおいて他はいませんでした。

日本全国には彼のような実直な医師達が散在していて医療現場の最前線を支えているのだと思います。 

そのような先生達の給与は労働時間とその責任と比較すると薄給だと思うのですが美容外科の求人を医療情報誌でみるとたいていそのような大変な科より給与が高めです。
美容外科は他科にくらべて急患が少なく、当直もなく、給与が高いとなれば一般的な感覚でいえば人気の科になるはずです。

しかし実際は人気がなくて人が集まらないから高額の給与を提示しているのが現実でしょう。

なぜ人気がないのか?  それは日本の医師達がまだまだマトモだからだと思います。 医師を目指した時の原点、病める人の一助となりたいという思いがあるからこそQOL(生活の質)の高さやお金だけでは動かない先生がまだまだ多いのだと思います。経験上マトモな医師ほど美容外科を胡散臭いものとして白い目でみる傾向にあります。 これは単なる偏見とかたづけられるものではなく実際美容外科側の問題がたくさんあります。 医師の脱税、不正請求、破廉恥な犯罪、シリコンジェル注入等による後遺症・・・マスコミに載るこれらの記事の中でなぜか美容外科医が多いのです。

今の日本の医療制度では保険制度のためどのような名医の処置でも保険組合から支払われるお金は凡医と一緒です。 しかし彼らの病気を治す技術や知識、経験が評判となり患者さんは集まってきます。 収入が増えるわけではなくともそれがやりがいとなり日本の一般の科の医師は頑張ります。

翻って日本の美容外科医はどうでしょうか? 

多くの美容外科手術の手技自体は実は一般の中堅どころの外科や整形外科、形成外科の医師が行う手術よりも難しくありません。 よく形成外科医が美容外科をやるのが適切という表記もみますが点滴用に静脈に針を刺すのに血管外科医が適切と表現するのと同じぐらい意味がないというかマトモな形成外科医にとってもいい迷惑だと思います。形成外科の医局によっては学会で美容外科のブースに近づいただけでも退局という医局があるぐらい美容外科がタブーな医局もあります。形成外科医が開業すると確かに開業医レベルでmicrosurgeryや皮弁移植等できないので勤務医からの天下り先として美容外科の領域を確保しておくというのは開業形成外科医にとっては大切な問題かもしれませんがそれは医師の生活の糧のために大切な問題であってまず第一に考えるべき患者さんのためではありません。

独立標榜科として存在する美容外科およびその恩恵を受ける日本国民のためにも私個人としては形成系、十仁系という枠組みを超えて美容外科学会が統合開催されてほしいのですがそれぞれの団体の権益争いのためにそうならないのが残念でなりません。

日本の美容外科の評判というのは美容外科手術に対する後ろめたさもあって公に語られることがありませんでした。 よって患者さんが選択するときの選択手段として宣伝広告に主に頼らざるを得ませんでした。
本来は患者さんは医師の技術を知り選ぶのが本来のあるべき姿ですが今までは誇大広告的な宣伝文句(広告で患者を集める=広告商法)や経歴(○○専門医との経歴で集める=経歴商法)、学位(○○博士との学位で権威付けて患者を集める=学位商法)、著作本(本を書いて宣伝する=バイブル商法)等しか患者さんが美容外科医を選ぶ判断基準がなく、美容外科医側もそれらを宣伝道具として患者集めをしていたのは美容外科の不幸な一面であったと思います。

しかし時代は変わりました。 今後はインターネットの普及と共に空虚な情報に基づいて医療機関が選択されるのではなく各々の美容外科医がインターネット上に晒した日々の臨床結果が閲覧、吟味される事により適切な医療機関が選択されていくことになると思います。この日本の美容医療を変えていくきっかけとなっていくであろう日々の臨床記録としてのブログへの写真提供をしてくださった患者さん方には深謝します。 一人一人のご協力が日本の美容医療をよりよい方向へ変えていくきっかけとなっていっていると思います。 将来、多くの美容外科医が日々の臨床を晒すようになった結果として今後私自身が美容外科医として淘汰されていくこととなっても全く後悔はありません。

美容外科手術はより自信と喜びに満ちた人生を歩む一助となれる幸福の医学である一面、人のコンプレックスや欲望に医療者側がつけこんでお金をむしりとることができる負の一面があります。

もちろん病気に対する医療も病気につけこんでお金をむしりとることのできる負の一面があるじゃないかといわれればそれまでですが、まだ日本の場合は保険制度のおかげで例え悪徳医にかかっても悪徳医は保険制度の悪用はすれども患者さんそのものの心理につけこんで患者さん自身から大金をせしめることは通常はないでしょう。

ところが美容外科に関してはそのような保護機構が働かないためコンプレックスや欲望の刺激され具合によって患者さん自身が大金をだしてしまうことになります。

私にとって美容外科は幸福の医学であり好きであってももやはり疾病を治す他科と比べればいくら美辞麗句を並べようとも医者の中では落ち武者の科だと思っています。

ただし落ち武者にも矜持(きょうじ)と美学があります。

人のコンプレックスやより美しくなりたいという欲望につけこむのは私の美学に反します。

幸福になるためにお役に立ちたいのであってつけ込みたくはないのです。

もちろん健全な医療の提供には健全な経営状態でないといけません。また希望する施術が高額で受けれない方々のためにも社会的に存在意義があるクリニックにする必要もあります。持ち出しになるわけにはいかないのですがそのためにもこの施術は値上げしてこの施術を値下げしよう・・・等スタッフからの提案等もおりまぜて可能な限り患者さんには施術を廉価で、勤務するスタッフには好待遇を提供することのできる医療機関になってくれればな・・・と思っています。 

全てを無から始めて自分が理想とする美容外科医療をダメもとでいいからやってみようと思ってやってきました。不審がる患者さんもたくさんいましたが少しずつご理解くださる患者さんが増えてきてくださってありがたく思います。

いつもあのO先生の「世の中に僕みたいな医者が一人ぐらいいてもいいだろう。」という言葉が頭をよぎります。

私が勤務するクリニックにはなぜかいい人々が集まります。 
いままでの病院生活では経験しなかったことです。自分でも不思議です。 よき患者さんとスタッフに囲まれ幸せです。

さて本日ご紹介の患者さんは鼻尖縮小術、耳軟骨移植術をお受けになられた患者さんです。

上段:術前です。
下段:術後一週間抜糸時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)
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鼻先を下げたいとのことで耳軟骨を利用し鼻先を下げるように移植しています。
順調な経過です。

差し入れを戴きました。
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ありがとうございます。 深謝いたします。
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by shirayuribeauty | 2007-03-05 00:15 | 美容外科
乳輪縮小、乳房固定術  :  医療法
最近、保険診療において診療報酬を不正請求したとしてあるクリニックが神奈川社会保険事務局に保険医療機関の指定を取り消されるという事件がありました。

保険医登録を取り消された理事長の抗弁としては「不正請求はしていない。行政訴訟で処分の取り消しを求めていく」とのことのようです。

その理事長は旧厚生省の元技官であり診療報酬の不正を点検する医療指導監査官を勤めていたようですが、もしその知識を悪用して詐欺行為を働いていたとしたら最低極まりません。

しかしこの保険医療というもの自体がやっかいなものでどんな一流病院でも非常に厳密な意味でいえば不正がないところはありません。 不正という意味の定義にもよりますが例えばちょっとした手術でもそれよりちょっと大きめな手術としてより大きな点数として請求するということがしばしばあります。

これが私が保険診療がいやだな と思う一面であるところは事実です。
ちょっとヌケガケする者が得をしてしまうシステムというのは好きではありません。

けれどもこの保険診療のシステムによって日本は世界に冠たる医療システムを保持している面もあるのであり功罪両面あわせもつというところでしょうか。

完全に市場原理にゆだねるわけにはいかないところが福祉の面をもつ医療の難しいところだと思います。

さて前述のクリニックがどの程度の不正を実際働いていたのか私には知る由もありませんがこのクリニックのチラシが私の部屋の郵便ポストによくはいっていました。

細かい手術メニューとその金額が記載してあるチラシを各戸に配布している時点で私としてはかなり胡散臭く感じてしまいます。

なぜなら医療機関というものは医療法にて次のように定められているからです。

医療法第5章
第69条
医業若しくは歯科医業又は病院若しくは診療所に関しては、文書その他いかなる方法によるを問わず、何人も次に掲げる事項を除くほか、これを広告してはならない。
1.医師又は歯科医師である旨
2.次条第1項の規定による診療科名
3.次条第2項の規定による診療科名
4.病院又は診療所の名称、電話番号及び所在の場所を表示する事項
5.常時診療に従事する医師又は歯科医師の氏名
6.診療日又は診療時間
7.入院設備の有無
8.紹介をすることができる他の病院又は診療所の名称
9.診療録その他の診療に関する諸記録に係る情報を提供することができる旨
10.前各号に掲げる事項のほか、第14条の2第1項第4号に掲げる事項
11.その他厚生労働大臣の定める事項


10.の第14条の2というのは
第14条の2 病院又は診療所の管理者は、厚生労働省令の定めるところにより、当該病院又は診療所に関し次に掲げる事項を当該病院又は診療所内に見やすいよう掲示しなければならない。
1.管理者の氏名
2.診療に従事する医師又は歯科医師の氏名
3.医師又は歯科医師の診療日及び診療時間
4.前3号に掲げるもののほか、厚生労働省令で定める事項【則】第9条の3 ・第9条の4
 助産所の管理者は、厚生労働省令の定めるところにより、当該助産所に関し次に掲げる事項を当該助産所内に見やすいように掲示しなければならない。
1.管理者の氏名
2.業務に従事する助産師の氏名
3.助産師の就業の日時
4.前3号に掲げるもののほか、厚生労働省令で定める事項

となります。

よって医療機関による上記事項以外の記載内容のあるチラシや雑誌広告というのは医療法違反となります。
しかし法の抜け道として広告の端っこに●企画・取材・製作・発行/○○○と記載してあるのがミソです。
これによって医療機関そのものが広告しているのではなくて○○○という会社の取材を受けたという形態にしてその広告が○○○が発行しているとなると医療機関が罰せられなくなります。 その○○○が実際は医療機関の子会社のようなものだとしても。

このチラシ広告というものが医療法の基本精神を骨抜きにする行為か否かを厚生省の元官僚が知らなかったはずがありません。 知らなかったとしたら・・・日本に絶望はしたくないので考えないでおきましょう(笑)

さて今日ご紹介する患者さんは乳輪縮小および乳房固定術をお受けになられた患者さんのご紹介です。
上段:術前です。
中断:初回術後です。
下段:再手術後約2ヶ月です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)
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お悩みとしては乳輪が大きく乳房が垂れていらっしゃるという点でした。よって乳輪を小さくし乳房を引き上げる手術として乳輪縮小および乳房固定術をお受けになられたのですがより乳輪を小さくされることをご希望されたため再手術を行いました。 現在は乳輪の周りに余剰皮膚が寄っていますがこれは一年ぐらいかけて序々に消失して馴染んで目立たなくなっていきます。
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by shirayuribeauty | 2007-02-15 23:59 | 美容外科
ゼロ戦 & トルコ
靖国神社の遊就館に行ってきました。


遊就館名物ゼロ戦です。
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大東亜戦争初期に連合国の戦闘機を駆逐し当時世界最強と呼ばれた戦闘機です。
1942年6月にアリューシャン列島のダッチハーバーに近いアクタン島の沼地に不時着したほぼ無傷の零戦を米軍が手にして徹底的な解析をするまでは空戦においては圧倒的な強さでした。 


帰り道は毎年好きなトルコ料理のドネルサンドを頬ばります。
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トルコといえばエルトゥールル号遭難事件及びイランイラク戦争時にイランから脱出不能となった日本人救出にトルコ政府が「エルトゥールル号遭難事件の礼」と応じ、2機のトルコ飛行機がチャーターされて危機を脱した件が日本人にとっては馴染み深いですが私はそれに加えてドネルサンドが好きで靖国にいくときはこれが食べれるのでワクワクしています。
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by shirayuribeauty | 2007-01-02 23:59 | 美容外科
謹賀新年
あけましておめでとうございます   今年もよろしくお願い申し上げます。

昭和12年(1937年)のシナ事変から昭和20年(1945年)までの大東亜戦争までの日本人戦没者は310万人にも達しています。
戦闘に携わった否に関わらず、皆、国や国民のことを思い、力を尽くして戦い、あるいは働き、あるいは米国の一般市民無差別大量虐殺故に亡くなった人々であり、今日の日本がその人々の犠牲の上に築かれていることを決して忘れてはならないと思います。
戦没者のご冥福をお祈りすると共にこれからよりよい日本の建設に向け新たな一年を頑張っていきたいと思います。

お正月の靖国神社です
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靖国神社名物「大村益次郎」の像です。 明治初頭に活躍した陸軍指導者として有名であり「その才知、鬼の如し」と評された大村益次郎ですが実は彼は医学を修めた医者でした。
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神門周辺です。 人々で大賑わいです
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拝殿です。 奥に本殿があります。
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英霊に感謝の意と現世に生を受けている私がこれからの日本の繁栄の一助となるべく粉骨砕身でき皆様のお役に立てるようお祈りしました。 


本日の患者さんから差し入れをいただきました。
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バスパウダーでした。 ありがとうございました。 
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by shirayuribeauty | 2007-01-01 00:00 | その他
航空公園、硫黄島からの手紙
先週一週間は所沢の方に研修をうけにいったりと色々とあわただしい一週間でした。
私は所沢にいくまで知らなかったのですが所沢はわが国最初の公式飛行場が誕生した場所であり1911年4月5日に公式飛行場で初飛行がされた場所とのことで航空公園がありました。
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日本人による初飛行自体は1910年12月19日 東京代々木練兵場における公開飛行にてフランス留学で飛行術を習得した徳川好敏工兵大尉がフランスより持ち帰ったアンリ・ファルマン3型(1910年型)複葉機により達成されているそうです(この記録は公式飛行場で達成されたものではありませんでした)

ライト兄弟の初飛行よりもさかのぼること12年前の1891年カラス型・玉虫型飛行噐を開発した 二宮忠八(にのみやちゅうはち)は奇人変人扱いされて資金協力もなく実機製作できなかったことは残念なことでした。 追試験では彼の設計図で飛行することが確認されています。

公園内には航空整備兵の像がありました。
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彫刻家故長沼孝三氏が1943(昭和18)年の第2回大東亜美術展に出展したもので、翌19年5月21日に所沢航空整備学校内に建立され、翼を抱き、空を見上げる航空整備兵3人の姿は、当時の少年飛行兵や整備兵のシンボルとされていたそうです。

9日未明に同日公開の「硫黄島からの手紙」を観に行きました。
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本を読んでも映画をみても悲しい戦いです。 憲兵をことさらいやらしく描いているのがややひっかかりましたが米国人がこのような映画を作ったことは評価します。

若い看護婦さんが硫黄島での玉砕戦を知らなかったのでびっくりしましたが大東亜戦争の経緯のみならず竹島や北方領土の問題すら触れない学校が多い現在の学校教育では仕方がないのかもしれません。

硫黄島以外にも多くの島嶼(とうしょ)で日本人守備隊が玉砕しています。
より多くの人々に記憶にとどめてもらえるようにここに記載します。

1943年5月29日:アッツ島守備隊玉砕
1943年11月22日:ギルバート諸島マキン・タラワ守備隊玉砕
1944年2月1日:マーシャル諸島クエゼリン環礁守備隊(ルオット島)玉砕
1944年2月3日:マーシャル諸島クエゼリン環礁守備隊(ナルム島)玉砕
1944年2月4日:マーシャル諸島クエゼリン環礁守備隊(クエゼリン島)玉砕
1944年2月23日:マーシャル諸島ブラウン環礁守備隊(エンチャビ島、エニウェク島、メリレン島)玉砕
1944年7月3日:ビアク島守備隊玉砕
1944年7月7日:サイパン島守備隊玉砕
1944年8月3日:テニアン島守備隊玉砕
1944年8月11日:グァム守備隊玉砕
1944年9月19日:アンガウル島守備隊玉砕
1944年11月24日:ペリリュー島守備隊玉砕
1945年3月17日:硫黄島守備隊玉砕
1945年6月23日:沖縄守備隊玉砕

他にも無名の島々で多くの方がお亡くなりになられたと思います。
硫黄島は映画にて一躍有名になりましたが硫黄島を含め多くの島嶼(とうしょ)で国防に殉じられた日本人守備隊の方々に感謝の意を表明すると共にご冥福をお祈りします。
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by shirayuribeauty | 2006-12-09 23:59 | その他