我々日本人にとって4月11日といえば大東亜戦争末期の昭和20年(1945年)4月11日午後2時43分、鹿児島県薩南諸島喜界島沖で、一機の零式戦闘機が米国戦艦「ミズーリ」の右舷艦尾に体当たりした日になります。無念ながら爆弾は炸裂せず機体のみが激突後砕け散りミズーリにかすかなへこみを残しました。
この特攻機は鹿児島県の鹿屋(大隅半島)を飛び立った「第五建武隊」(計十六機)のうちの一機、
石野節雄・二等飛行兵曹(当時十九歳・岡山県出身)が操るゼロ戦でした。
<特攻機がミズーリに体当たりする直前>
戦艦ミズーリは昭和20年(1945年)9月2日、 重光葵(しげみつ まもる)外相以下9名の日本代表団が東京湾上で降伏文書に調印した船として有名です。その降伏式中ミズーリの甲板は二枚の星条旗で飾られていました。一枚は真珠湾攻撃時にホワイトハウスに飾られていた物、もう一枚は1853年の黒船来航時にマシュー・ペリーの艦隊が掲げていた物であり、約90年越しの勝利として日本に二度目の屈辱を与えました。
私は以前にハワイのパールハーバーでこの船に訪れた時に右舷艦尾のかすかなへこみが上述の日本の特攻機によるものだと知り衝撃を受けました。
19歳という若さで護国のために特攻した石野節雄二等飛行兵曹を深く尊敬しかつ感謝するとともにこの世の地獄と化していた沖縄を死守するために特攻で命を散らした方々へ鎮魂をお祈り申し上げます。
本日ご紹介の患者さんは約2年半前より脂肪移植豊胸をたびたびお受けになられ今回最終脂肪移植豊胸より約1か月になります。
左:術前です。 右:最終脂肪移植豊胸より施術約1か月再診時
かなりグラマーになられていますが純粋に脂肪のみで豊胸し豊胸シリコンバッグ等の手術はお受けになられていません。
ご感想は「満足(5/5)」と順調な経過です。
またのご再診をお待ちしております。